第3章 邂逅 (3)

「それで?あなたは射撃場の係員として掃除をしていたら怪我をしたんですか?」
「見た目は綺麗なのに意外と鈍くさいんですね!」

目の前に座った二人のハルから口ぐちに言いたい放題言われ、カイトは口もとに苦笑を浮かべる。
あの後すぐ救急箱を持ってきてくれた雪遥にカイトは押さえ込まれ、悠斗には思いきり消毒液をかけられた。
よりによってひきもきらない暗殺者が一般人に拉致されたうえに、こんな扱いを受けるなんて誰が想像できるだろうか。
別に暴れるつもりも逃げるつもりもなかったのに、こんな扱いをされることになるなんてカイト自身、夢にも思わなかった。
おまけに押さえつけられた姿勢があまりに不甲斐なかったのを思い返すと、自分の失態にがっかりする。
(年下の青年に背中からガッチリ抱きこまれた挙句、身動きひとつとれないなんて。)
実際、雪遥自身はたくましい体型でないものの、一応男というだけあって力はそれなりに強かった。
カイトが諦め半分で反抗の意志はないと告げれば、彼も多少は力を緩めてくれたけれど、
それでも身動きが取れないことに変わりはなくて、カイトは治療のあいだなかなかに情けない気持ちを味わった。

「いや、その、なんて言うのかな。ほら、人の見た目と中身って案外違うものだから。」

器用に包帯を巻かれ、清潔になった左腕の傷口をそっと撫でさすったカイトが苦し紛れに言えば、
悠斗があからさまに怪訝そうな顔を浮かべる。

「それにしたって見た目とはかけ離れすぎのドジじゃないですか?」
「そうかな?」
「ええ。」

あっさり肯定されて、カイトは本日二度目のがっかりを味わった。
まったく、口調はやわらかいのに、随分とはっきりモノを言うようになったものだと思う。

「君は、なかなかその、言いにくいことをはっきり言うんだね。」

苦笑気味に言えば、悠斗は目をきらりと光らせてカイトの双眸を見据えた。

「あなたこそ、外国人のフリしてた割には随分日本的じゃないですか。その歯切れの悪さとか。」
「え…?」
「あれ?もしかして自覚なかったです?
 って、まあそんなことは正直なとこ、どうでもいいんですけど。
 それよりもあなたの名前。聞いてもいいですか?名前がわからないと呼びにくいから。」

ぞんざいな口調なのに探る瞳で問われて、カイトは一瞬だけ怯んだ。
さすがに日本語で七瀬の姓を名乗るのはまずい。
けれど名乗れないのもまた不信感を煽るだけだ。
直感的に思ったカイトは古い記憶を呼び起こし、ミドルネームを省いて『カイト・バッセル』と名乗った。
ちなみにバッセルは義父のファミリーネームだ。
あまり偽名になりきれてもいない気がするが、今はそれ以外に思いつかなかった。

「カイト・バッセル。ふうん。名前はやっぱり外見に見合ってるんですね。」

悠斗は端的な感想を述べると、テーブルに置いてあるコーヒーをひと口すする。
隣では雪遥がにこにこ顔でカイトの顔をまじまじと見つめていて、カイトはなんだか居心地が悪くなった。
二人からやわやわと詰め寄られていると、どうしてかポリスで取り調べを受けている気になる。
実際にポリスへお世話になったことはないが、きっとこんなアメとムチのようなコンビが揃って取り調べをするのだろう。
これはもしかしたら日本だけの話かもしれないが、そもそもが日本人であるカイトにはそれしか思いつかない。
カイトはかつ丼の代わりに出されたブラックコーヒーを啜り、小さく息をつく。

「それにしてもカイトって名前、かっこいいですよね〜。
 同じ日本人の血が流れてるとは思えないくらい美形だし。それにカイトって聞くと
 俺なんてつい西洋凧思い出しちゃうなあ。ふらふらーっと飛んでいけそうっていうか、ものすごく自由な感じ。」

突拍子もない発想にカイトと悠斗は思わず眉をひそめ、顔を見合わせる。
悠斗は何よりも大きなため息をつきながら、雪遥に向き直った。

「凧には糸があるだろうが。」
「でも空飛べるでしょ〜?自由っていいじゃない。」
「それを言うならハルの方がよっぽどお前の定義する凧に似てると思うんだけど?」

苦言を呈する悠斗の横顔とそれを意にも介さない雪遥に、カイトは小さく含み笑う。
仲の良い親友…ともすれば兄弟のじゃれあい。
名前の似ている二人にそんなことを感じて、カイトは胸に微笑ましさと切なさが入り混じるのを感じた。
自分にも遠い昔に似たような想い出がある。
けれどそれは同時にカイト一人の胸にしまいこんでおくべきものだった。

「ああ…ええっと、君たちはとても仲が良いんだね。付き合いは長いの?」

話題を変えるため、カイトは手近な疑問を投げかけてみる。
さきほどの悠斗の傍若無人さといい、雪遥の懐きっぷりといい、この二人の仲はきっと長いのだろう。
兄として弟の親友を眺めることほど嬉しく、そして寂しいことはなかった。

「んー、あれ、一カ月半くらい前だったよね?悠斗さんが転がりこんできたの。」

雪遥が口を開く。
悠斗は黙ったまま頷いて、コーヒーをテーブルに置いた。

「ああ、そうだったな。
 僕は製薬会社の人間だからここには営業回りで来て、
 それでアメリカに置き薬の文化を根づかせてみたいって話をしながら
 手始めに籠絡が簡単そうな日本人のハルを脅してみたのが始まりだったかな、確か。」
「脅した、だって――?」

あからさまに跳ねるカイトの声に雪遥が苦笑する。

「冗談だよ。この人、俺と出逢った時は自分が大怪我しててさ。俺がそれを助けてからの付き合いかな。
 そしたらいつの間にか置き薬だって救急箱置かれて、怪我人を連れ込まれるようになったってわけ。
 だからこんなあられもない時間帯に悠斗さんが現れて大騒ぎするの、今日が初めてじゃないんだよね。」
「人生の先輩に向かってこの人って言うな。それにこれは大騒ぎじゃなくて人助けと置き薬のデモンストレーションだ。」
「またデモンストレーションなんて言って。それ普通に人聞き悪いからね?悠斗さん。」

よく心得た空気で眉をひそめる雪遥は、悠斗のことを随分と分かっているようだった。
深々と渓谷が刻まれている悠斗の眉間に雪遥は遠慮なく手を伸ばし、つんつんと小突いている。
苦々しそうにする悠斗も彼の手を振り払うほどその行為が嫌、というわけではないらしい。
カイトは目前にいる二人のやりとりを見ながら、内心では複雑な想いに耽っていた。
(一カ月半前。大怪我をしていた悠斗と出逢った、か。)
皮肉にもあの夜、悠斗たちを助けてくれたのはこの雪遥という青年だったようだ。
よく考えれば今日のホテルはあの日の路地に繋がっていたし、自分が出てきたのもその路地からだった。
大きな看板が投げ込まれた道にもうそれは無かったが、カイトはあの夜の硝煙の匂いを忘れてはいない。
胸の十字傷がずくん、と疼く。
カイトは痛みを意識から遠ざけながらもう一度、二人の『ハル』を見た。
温かな雰囲気でじゃれあう彼らはまるで暖炉のそばで戯れる猫のようにも見える。
安らかで、哀しい夢だった。
運命や偶然がここに三人を集わせたとしても、結局のところカイトの現実はただの飼い犬で、殺し屋でしかない。
そんな自分がこの二人に長らく関わり続けていい理由など、当然ながらに見つからなかった。
たった一瞬でも長く一緒に居たい。
そんな風に思いそうになる自分へ、カイトは立場を思い出せと強く念じる。
このまま関わっていても悠斗へ兄と名乗ることなど絶対にできない。
それどころかただ純粋に胸の奥で大切にしてきた存在を、対象とともに葬らねばならない日がくるかもしれないのだ。
たとえそれが止むをえない二次的な事情であったとしても現実は変わらない。
沢山の人間の運命を変えてきた自分など、不吉な葬送者以外の何にもなれはしないのだ。
だから、カイトはこれまですべての希望を捨てて生きてきた。
そしてその生き方はこれからも変わらない。変えてはいけない。
カイトは抱いた想いの全てを噛み砕くと、頬にふわりとした笑みを浮かべてそっと席を立った。

「君たちの仲が良いのは十分わかったから、もうじゃれなくていいよ。
 今夜は久しぶりに楽しかった。手当もしてもらえて助かったし、本当にありがとう。
 俺はそろそろ仕事に戻らなくちゃならないから、もう行くよ。この礼はまた近いうちに。」

カイトは返答を待たず穴のあいてしまったスーツの上着を羽織り、二人に背を向ける。
急に静かになった二人は束の間カイトを凝視していたようだったが、すぐにがたんと大きな音がした。
悠斗が席を立ち、カイトの背を追いかけてくる。
背中越しに足音が響いたかと思えば、彼はすかさずカイトの正面へと回りこんだ。

「コート、ないでしょう。僕の貸します。傷にさわるから。」

近くの衝立にひっかけていたコートを悠斗がやや荒い手さばきで取り、カイトに半ば無理矢理押しつける。
カイトが驚いて目を見開くと、悠斗はぶっきらぼうに言葉をぶつけてきた。

「ちゃんと、返して下さいね。それ。」

相変わらず口調は有無を言わさない。
これではまるで、悠斗がまた自分に逢いたがっているのではないか、などと考えてしまいそうになる。
けれどこれは都合の良い妄想だ。
悠斗はカイトが本当は何者かなんて知りもしない。
それに暗殺者をやっているなんて知れば遅かれ早かれ、彼は自分のそばから居なくなるだろう。
ならば、最初から通りすがりの怪我人であった方がずっとマシだ。
カイトは腕に押しつけられたコートをやんわりと押し返すと、困ったように笑ってみせる。

「ありがとう…でも、そこまで迷惑はかけられないよ。それにいつ返せるかもわからないから別に…」
「いいです。いいから着てください。助けた怪我人に風邪までひかれたら、僕が迷惑だ。」

これ以上ないくらいに真摯な目で凄まれ、カイトは何も言えなくなった。
昔から悠斗が本気になると断れない。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだが、それはやはり本当だ。
あれだけ断らなくては、と思った意志が萎れていくのが分かる。
カイトは困り顔のまま頷いて弱く微笑むと小さく、ありがとう、と言った。
悠斗は満足そうに大きく頷くと、押しつけていたコートを開いてカイトの肩にかけてくれる。
身長は悠斗の方が十センチほど小さくて、カイトのためにわざわざ背伸びをしてくれていた。
ふわりとした悠斗の髪が頬をくすぐる。
それだけでカイトの胸は切なさでいっぱいになった。
離れたくない。
幼かった日にじゃれあっていた子猫には戻れなくても、そばで悠斗を見ていたかった。
カイトは溢れそうになる懐かしさと愛おしさを胸の底へどうにか縛りつけ、悠斗の頭に手を置いた。

「ありがとう。悠斗くん。」

他人行儀に言ってから置いた手をやんわり上下させると、それをゆっくり離す。
もう二度と触れることはない。
カイトは自分の心を戒めるかわりにぎゅっと拳を握ると、足早にその場をあとにした。
背中へ悠斗の強い視線が刺さっているのが分かる。
だがカイトは振り向くこともなく、アンダルシアの扉を開けた。
(今夜あったことはすべて夢の中での出来事だ。忘れてしまえ。)
そう強く己に言い聞かせると、カイトはゆっくりと冷たい石畳を踏みしめ、後ろ手にドアを閉めた。

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