第6章 幼き日 (3)

『星砂ものがたり』

はるか遠い南の国。
碧く美しい月が浮かぶ海のそば、満月の夜と人が歩くときだけ泣き声を上げる砂浜がありました。
きゅっきゅと声を上げることしかできない砂たちは涙をながすことができません。
けれどそのかわり、砂浜の砂たちはとてもきれいな星のかたちをしていました。
砂浜の近くに住む人々はそこを涙星の砂浜と呼んでいます。
いつも、いつでもきゅっきゅと泣く砂たち。
波さんは砂たちのことが大嫌いでした。
彼らは人間たちに踏まれては泣き、簡単に海へとさらわれていきます。
波さんにはそれがとても弱いものに見えて、どうしても彼らを好きにはなれませんでした。

ある日の夕暮れ、とうとう波さんは砂たちの泣き声を聞いていられなくなり、彼らに聞いてみました。
「お前たちはどうして涙も流せないのにそんなに泣くんだ?」と。
すると砂たちは口ぐちに言いました。
「僕たちは泣いているんじゃない、歌っているんだよ。」と。

しかし、波さんにはその意味がよくわかりません。
踏まれて、踏まれて、痛いはずなのになぜ歌っていると言えるのかまるでわからないのです。
波さんはざざーんとひとつ大きな声を出して言いました。

「だが、お前たちは人に踏まれてばかりじゃないか。
 そんなに綺麗な形をしているのに、空の星と違ってお前たちは振り向いてもらえないんだぞ?
 ただただずっと踏まれて歌うしかないだろう。本当に哀しくはないのか?痛いとは思わないのか?」

怒ったように尋ねられ、波打ち際の星たちは互いに顔を見合わせます。

「でも、僕たちはあの星みたいにはなれないっていうことは分かっているから。」
「どういうことだ?あの星たちのようになりたいとも思わないのか?」

不思議がる波さんに砂たちはからからと笑いました。

「あのね、波さん。僕たちはね、僕たちが僕たちらしくいられればそれでいいんだ。
 無理に星になりたいとは思わない。もちろん皆に見てもらえる星さんのことは羨ましいけれど
 それは星さんたちだからできることなんだよ。だからもし僕たちが星さんたちを羨ましく思ってしまう夜が来たら、
 僕たちは彼らの歌を聴いて覚えるんだ。何度も何度でも彼らが歌ってくれる歌を聞いて覚えるんだ。」
「覚える?歌を?」
「そう、歌だよ。ただ静かに耳を澄ますだけで、彼らは僕たちにきれいな歌声を聞かせてくれる。」

まるで自分のことを話すように自慢げに言った砂たちはなぜか嬉しそうです。
それを聞いた波さんは砂たちの言っていることがやっぱりよくわからなくて、またひとつ、ざざと声を響かせました。

「だが、歌の聞こえない夜だってあるのだろう?そんな時、お前たちは寂しくないのか?」

心配する波さんに星砂たちは互いを抱きしめてきゅっと小さな音を出してみせました。
普段、満月や人間のちからを借りなければ出せない声を砂粒の星たちは精一杯に波さんのいる場所へと響かせます。

「そりゃ寂しいさ。でも、星は静かな夜にしか歌わないことを僕らは知っている。
 だから歌が聞けない夜には、僕たちが覚えた歌を彼らの代わりに歌うのさ。
 そしたら僕たちだって夜空の星たちに負けないんだぞってみんなに教えることができる。」

きらきらとした声を出し、口ぐちに言う彼らを波さんは眩しい気持ちでみつめました。
波さんは自分の中に沢山の光と影が映ることを知っています。
そして美しい色で人間をひきつけられることも知っています。
けれど、それは自分が頑張って得たものじゃないことを知ってしまいました。
大きな月をうかべ、自信満々に波音を立てている自分の姿は
もともと生まれついたときからのご褒美でしかなかったのです。

「お前たちは頑張り屋で、仲良しなんだな。」

ぽつりと波さんが呟きました。
すると砂たちはそうかな、と嬉しそうにまた体をぶつけあいます。
この星砂たちにはいっしょに歌い、いっしょに喜びあえる仲間がいる。
そんなちいさなことに波さんは初めて気がついたのです。
そうしたら波さんは急に寂しくなりました。

「本当に幸せなのはお前たちかもしれないね。」

波さんが独り言のようにつぶやきます。

「どうして?」

不思議そうな顔をした砂たちに聞き返されて、波さんは小さく笑いました。

「だって君たちには一緒に歌う相手が居るのだから。」

あたりに一段と大きな波音がざざーんと響いたあと、ゆっくり波が引いていきます。
さらさらとした砂たちをさらわないように、そろり、そろりと――。
いつの間にか真っ暗になっていた空にはたくさんの星とおおきなまあるい月が光っています。
きらきら、ぴかぴか。きらきら、ぴかぴか。

「ねえ、波さん。聞こえる?」

砂たちのひとりがいいました。
けれど波さんはなにも答えず、ただ黙っています。

「波さん。お空を見てみて。
 僕たちは一人じゃないんだ。今日は星も月も僕たちもみんな歌ってる。
 だから波さんも一緒に歌えばいいんだよ。僕たちは波さんと一緒に歌いたい。」

素直な星砂の言葉に、波さんは小さくざわざわと波を起こしました。

「こんな音でも?」
「うん。どんな音でも。僕たちは波さんと歌いたい。」

小さな声が集まってできた大きな声で星砂たちは波さんを誘ってくれます。
波さんは砂たちの言葉にとても泣きたくなりました。
なぜ今まで、こんなにも優しい君たちに気づいてあげられなかったのだろう。
波さんははずかしくなりながらも、心のなかに沢山の嬉しさがあふれてくるのを感じていました。

「私は私の声で頑張るから。」
「うん。」
「だから、これから先はずっと一緒に歌おう。」
「うん。僕たちはずっと一緒に歌おう。」

笑い合った星砂たちと波さんは、やがて大きな声で歌いはじめました。
世界中に届くように、歌声がみんなに聞こえるように。
そして聞いてくれたみんなが幸せになってくれるように。
星たちと波は祈るような気持ちで声をひとつにします。

こんな夜が今日も明日も明後日も、ずううっと続けばいい。
波さんはこの夜、生まれて初めての幸せを感じていました。

ここは涙星の砂浜。
泣いてばかりの星砂とひとりぼっちだった波は力を合わせ、
今夜この場所を、世界のみんなに”幸せ”の涙をプレゼントできるたった一つの場所にしたのです。


――おしまい。

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