第7章 兄と弟 (2)

本当に思いがけない夜だった。
龍安の秘密をばらしてしまったのは申し訳なかったが、そのお陰で悠斗と色々な話をすることができた。
悠斗がどう感じているかは分からないが、カイトにとって悠斗とこんな風に話ができたのは本当に嬉しいことだった。
カイトは悠斗が片づけものをしてくれている間に、予備の毛布を探す。
確か寝室の奥にあるクローゼットの棚上へしまっておいたはずだ。
長身を活かしてそこを覗きこむと、目当ての毛布が見つかった。
手に取って枚数を確認する。
ところが先日悠斗が泊まった時に使ったはずの枚数と手の中にある枚数は違っていた。
一枚無くなっている。
カイトは焦りながら棚の下やウォークインクローゼットなども探してみたが、
大した広さが無いせいであっという間に探す場所が尽きた。
ベッドは龍安が占領しているし、毛布は一枚しかない。
こんな状態で今夜をどう過ごせば良いのか。
カイトは頭を抱えた。
小さな頃であれば何も考えず一緒に寝ようと言えたと思う。
だが今のカイトは悠斗から見れば決して兄などではない、ただの他人だった。
思案顔をしたまま寝室へと戻ってきたカイトに悠斗が不思議そうな目を向ける。

「どうかしたんですか?」
「ん?ああ、いや。」
「いやって、何かあったんでしょう?」

首をかしげて近づいてくる悠斗にカイトは苦笑した。
はたして事実を言っていいものか。
カイトは束の間悩んだが、どうせ分かることだと思って言ってしまうことにする。

「毛布を探していたんだが、どうしてか一枚無くなっていて。」
「毛布が?」
「そう。だからこれだけで今夜をどう過ごそうかと思って、ちょっと考えていた。」

カイトが手にしていた毛布を広げると、それはダブルベッドのシーツカバーくらいの大きさがあった。
見た目にもムートンの手触りが上質そうなふわふわの毛布だ。
これは生活感のないカイトが唯一こだわっているものでもある。
カイトは昔からふかふかした毛布が好きだった。
包まれている時だけはとても満たされた感覚に陥ることができるからだ。
包まれて、悠斗と一緒に寝た夜を思い出す。
そうすればカイトはその時だけ無償の安らぎを得ることができた。
ささやかな、贅沢だ。
カイトはそんなお気に入りの毛布を床に下ろすと、そうだな、と呟きベッドの隣へ敷く。

「悠斗。これは君が使うといい。」
「カイトさんは?」
「俺はいい。一枚しかない以上、これは悠斗が使うべきだ。」
「でもそれじゃ、カイトさんが風邪を…。」
「俺は大丈夫。俺が悠斗を引き留めたのだから、遠慮せずに使ってほしい。
 それに大体こういう場合はお客様の君に使ってもらうのが正しいはずだろう?」

おもむろに断言されて悠斗は眉根を寄せる。
何か気に入らないことでも言っただろうか。
カイトが悠斗の顔色をうかがうと、悠斗はあからさまに気に入らない、という顔を見せた。

「嫌です。僕はお客様じゃない。ただの監視員だ。」
「え?」
「だから!僕はお客様じゃないんだから、カイトさんにも毛布を使う権利があると言いたいんです!」

目を見開き、憮然とした悠斗は素早くカイトの腕をとる。
そしてカイトを毛布の上に座らせると、真正面に正座した。

「半々です。」
「半々?」
「そう!毛布を半々にして一緒に寝るんです!そしたら二人とも寒くないですから!」

唖然とするカイトを、悠斗は紅潮した頬も隠さずに睨みつける。
膝の上で拳を握り、ふるふると震えたがる肩をぐっと堪えさせているように見えた。
その姿がカイトの脳裏で悠斗の小さな頃とリンクする。
いつも頑ななまでに敬語を使い冷たい言葉を継いでくるのに今、カイトの目の前に居る悠斗がいつも通りなのは口調だけだった。
それ以外はすべて、幼き日に見た弟の姿そのものだ。
カイトは無意識のうちに悠斗の手をとっていた。
悠斗が目を上げるのを見て、やんわりと目を細めると優しく抱きしめてやる。

「ありがとう。」

万感の想いがこもる言葉を、カイトは悠斗へ、自分の胸越しに聞かせた。
温かい、温かい、何年ぶりかわからない、心から安らぐ感覚。
兄は愛しみの熱を、弟は恋情をそれぞれの胸に灯していた。

「悠斗、先にお風呂へ行っておいで。待ってるから。」
「え?」
「明日も仕事に行くんだろう?お風呂には入っておかないと。」

親が子供をたしなめるような言葉に、悠斗は一瞬面喰ってからうなずく。
カイトはそれを確かめてから、悠斗を離してやった。
もう一度クローゼットに行き、寝間着になる軽装を取り出して悠斗に渡す。
少し大きいかもしれないが、そんなに大きく身長差があるわけでもないからいざとなれば裾を折ればいい。
カイトは悠斗を寝室から送り出し、風呂場へ入ったことを確認すると、また毛布の上へと座った。
約二十年ぶりに悠斗のそばで眠る。
こんな夜がくるなんて夢にも思わなかった。
寝物語になるような本は今のカイトの部屋にないが、互いの存在だけはある。
それがとても幸福だった。
今夜だけは、今夜だけでいいから、悠斗をこの腕のなかで思いきり甘やかしてやりたい。
心の底から思う願いにも似た感情を、カイトはくちびるを引き結んで押し殺す。
カイトは悠斗が戻ってくるのを待ちながら寝転ぶと、やがてゆったりと目を閉じた。

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