***Side K***
ふたりで夕食の皿を片づけたあと、衛が淹れた紅茶を持って、衛の部屋に戻る。
共有ルームには人影もなく、いつもなら居るはずの剣介と涼太はまだ出先から戻っていないようだった。
「今日は、なんだか静かだねえ。」
「そうだな。」
衛が持っていたお盆をロ―テーブルに置き、昂輝の腕を引いて、ソファに座らせる。
衛にしては少し強引な仕草で、昂輝は身体ごとすっぽり背中から衛に包まれる形で、ぎゅっと抱きこまれた。
一度だけ髪を梳いた指が頬に触れ、軽いキスをされる。
それが言葉にしなくても伝わるほど、衛の気持ちを教えてくれるようで、昂輝は思わず衛の胸に頬を寄せた。
トクン、トクンと聴こえてくる鼓動の音に耳を澄ませ、昂輝は自分から衛の指先へ手を伸ばす。
すると衛が重なりかけた昂輝の指先を撫でたあと、不意にそばへ置いてあった鞄を引き寄せた。
「…衛?」
首を傾げて衛を見上げれば、衛は鞄を昂輝の膝の上に置いて真剣な表情のまま、そこからなにかを取り出す。
それが一体何なのか分からなくて衛の手もとを見つめていると、同時にふっと野草の香りがふたりの間に漂った。
「衛…。これは…?」
「…シロツメクサの花冠だよ。」
「…?衛が作ったのか?」
「うん。今日遅くなったのは、これのせいでもあるかな。」
苦笑しながら口にする衛の指先でいくつも連なった丸い花はわずかばかり不格好ではあったが、ちゃんと冠の形をしている。
昂輝が触ってみようとそれに指先を伸ばすと、衛はその指先を避けるように冠を持ちあげ、昂輝の頭に飾った。
「一日前だけど…誕生日。おめでとう。」
あまりにもシンプルな言葉と、あまりにも手がかかっている贈り物に、昂輝は驚きを隠せなくなる。
決して自分の誕生日を忘れていたわけじゃなかったけれど、まさかこんな風に前日に祝われるとは思っていなかった。
昂輝が呆気に取られた表情で衛を見つめていると、衛はそっと昂輝の目蓋にキスをして手を握った。
「ごめんね。こんなものしか贈れなくて。」
「衛…。」
「もっといいものを用意したいって…想ってたんだけど。これしか思いつかなくて。」
花冠の乗った昂輝の頭を抱き寄せ、衛が直接耳に囁きかけるように告げてくる。
昂輝はそれだけで度数の強いワインを飲んだ時のような酩酊感を覚えて、小さく首を横に振った。
好きな人が誕生日を覚えていてくれるだけでも嬉しいのに、手作りの贈り物を用意してくれていたとなれば、それは幸せ以外のなにものでもない。しかも、仕事が終わって疲れているはずの時間にわざわざ作って帰ってくれたのだ。
昂輝は自分を逃さないように捕まえている衛の腕を握り、ふわりと微笑み返す。
「ありがとう。衛。似合ってるか…?」
手もとに鏡がない今、自分の姿は衛の瞳を通してでしか知ることはできない。
昂輝が首を傾げて衛の瞳を覗きこむと、そこには予想以上に嬉しそうな自分が映っていた。
「衛…?」
答えのない衛に焦れて、昂輝が衛の名前を呼ぶと、衛が額に手を当てて天井を見上げ、大きな息をつく。
まるでなにかを堪えているみたいに強く抱き寄せられて、昂輝はふたたび衛の名前を呼んだ。
「衛…?」
「コウくん……どうしよう。俺のコウくんが天使だよ。」
それなりに成長した男子を捕まえて(しかも一応、クールだと呼ばれていた男子を捕まえて)、天使という形容は若干おかしい気もするが、衛がとても楽しそうに笑っているから、昂輝もつられて笑う。
その笑顔を衛の瞳がまじまじと見つめて、互いに息をはかりあう間もなく、くちびるが重なった。
柔らかく食むようにして奪われる体温を、昂輝は衛にすべて預けることで、ふたりのあいだに溶かしていく。
開かれた隙間からゆっくりと味わうように忍びこんだ舌が、昂輝の理性と心を同じものに変化させていった。
「ねえ。コウくん。」
いつしか夢中になりかけた昂輝を呼び戻す声に、昂輝が薄く目を開けて応じると、そこには真剣な衛の眼差しがある。
それがどういう意味なのか分からず、昂輝がただ衛の身体を抱きしめ返せば、衛は昂輝の左手を取って指先にキスをした。
「俺、やっぱりコウくんに出逢えてよかった。ずっと想ってたけど今日、これを渡してみて、本当にそう想った。」
「……どういう、ことだ?」
「コウくんはきっと、俺と同じ世界を見てくれる人だから。」
言いきった衛が昂輝の後ろ頭に手のひらを添え、昂輝の身体を静かに押し倒す。
そのまま強く抱きしめられて、昂輝の肩口に衛の鼻先が埋まったかと想えば、衛は昂輝の首筋に軽くキスをした。
「んっ…」
少し感じてしまって昂輝が声をあげると、衛はふと自分の服のポケットを探りだす。
そして目の前に小さな箱を取り出すと、昂輝の手に握らせた。
「俺さ、昔。女の子にバレンタインのチョコ、もらったことがあるんだよね。それで俺。恥ずかしいことに何を返したらいいかもわからなくて、それでもなんとかお返しを渡さなきゃって思ったんだ。そうしたらいつも行ってた川べりの土手に、綺麗な野の花が咲いてて、すごく綺麗だったから、これを花束にしたら喜んでもらえるかなって、花束にして渡したんだよね…。それで渡した日の帰り道。なんとなくゴミ箱を覗いたら、渡した花束が捨ててあって。その時はそれなりにショックだったんだけど、その子とは同じ世界が見えないんだなって考えた。だから、俺は好きになるなら同じ世界を見てくれる人がいいってずっと想ってたし、多分探してた……ねえ、コウくん。コウくんは俺が作ったその花冠……この先で枯れたら捨ててしまう…?」
ほとんど消えかけの声で問われた疑問は、衛の不安なのか、願いなのかは分からない。
けれど、昂輝が今日もらった花冠はきっと昂輝の中で枯れることはないし、いつまでもこの嬉しい気持ちは変わらないはずだ。
昂輝は肩口にある衛の髪を二度、三度と掬うように撫でると、耳もとで子守唄でも聴かせるように、くちびるを開いた。
「衛。この花冠は、きっと枯れないから大丈夫だ。」
「…?コウくん?」
「これは衛が俺にくれた気持ちだから、俺がもらった時点で枯れさせるつもりはないし、それに万が一枯れても、俺がドライフラワーにして部屋に飾るから大丈夫だ。それとも衛はこの花冠が枯れてしまったら、気持ちまで枯れてしまうと思うか……?たとえ常識がそうだったとしても、俺は衛も、これも、捨てるつもりはない。」
肩口から顔をあげ、まじまじと昂輝を見つめる衛の頬に、昂輝がふわりとしたキスをする。
そして昂輝はわざといたずらっぽい目をすると、ずっと気になっていたことを口にした。
「それより、衛。俺は衛から花束をもらった子の方が気になるんだが…そんな話、今まで一度も聞いたことがないぞ?」
くすりと笑い、昂輝が衛の額に自分の額をこつん、とぶつけてみれば、衛は脱力して再び昂輝の肩口に顔を埋める。
「こんな情けない話。初めて誰かに話したんだから、コウくんが知らなくても当然……」
「それが、俺には気に入らない。」
いつもよりわざと強めに言ってみて衛の様子を眺めると、衛は困ったように笑って「ごめん。」と呟いた。
――今日、またひとつ…か。
衛が心のなかに隠しているいくつもの想い出のことを想いながら、昂輝は衛を抱きしめる腕に力を込める。
その指先に握らされているものは何か分からなかったけれど、昂輝にとって枯らしたくないのは衛との未来だということを、昂輝はこの瞬間も強く感じていたのだった。
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